始まりの朝....

 何か美しい夢でも見ているように、白い産着の赤ん坊は穏やかな顔で眠っている。五月の午後の光は木漏れ日となって、藤を編んだ揺りかごに降り注ぎ、若い緑を飾った梢は人にはわからぬ囁きを交わしていた。
 黒髪の子供はじっと赤ん坊の顔を見ていた。眠るその子を、また少し離れたところで眠りこけている怒りっぽい太った子守の女を起さぬよう、ひっそりと息を殺して。そうしてこの小さな生き物にすっかり心を奪われて。
 赤ん坊って、なんて小さいんだろうと子供は考える。なんて小さな顔、なんて小さな指と手なんだろう。なんて色が白くて、それなのにほっぺだけ赤くて、そうしてうっすらと生えた淡い色の毛はなんて柔らかそうなんだろう。なんて、なんてかわいい生き物なんだろう。
 どうしても我慢できなくなって、そっと手を伸ばして小さな手に触れた。赤ん坊の手はちょっと信じられないほど柔らかく、子供が触れると驚いたようにぴくんと動いた。子供はそれだけでどきんと心臓を高鳴らせる。
 ――この子、起きてしまったんだろうか。泣いてしまうだろうか。
 すばやく子守り女をのぞき見ると、太った女は気づいた様子もなく口を開けて眠りこけている。少しばかりほっとしたところで、きゅっと指をつかまれた。あやうく声を上げそうになって、あわてて口を押さえた。
 見れば、赤ん坊はすっかり目を覚まして、貝殻か花びらのような小さな手はしっかりと子供の人差し指を捕まえている。そうしてさっきまで眠っていた目が開いて、雨上がりの空のような、ツユ草の花のような、青い真ん丸い瞳がきょとんとのぞいていた。その様子がとてもかわいらしかったので、子供は困っていたことも忘れて、思わずにっこりと微笑んだ。
 そうすると、驚いたことに赤ん坊も少し笑った。なんだかきちんと挨拶をしなくてはいけないような気になって、子供はそっと囁いた。
「――こんにちは、ククール」
 ほんとうに、聞こえるか聞こえないかほどの囁きで。赤ん坊は問い返すように小首をかしげた。それで子供はすっかりうれしくなって、うんとつま先立ちして赤ん坊の顔をのぞきこんだ。
「ぼくね、おまえのおにいさんだよ。あのね、あいたかったよ」
 赤ん坊は声を上げて笑い、掴んだままの子供の指をひとしきり振り回した。子供は弟ができたことがあんまりうれしくて、それはとてもうれしくて、頬を真っ赤にしていつまでも笑っていた。
 
 ――物語は、こんなふうにして始まったのだった。終わりはそんなふうではなかったにせよ。
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