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「父上、母上――兄上も。いったい何の騒ぎ――わっ!」
 修行中の竪琴を片手に持った次男のマグロールは、扉を開けるなり胸につきあたった灰色のなにかに面食らった。
「マグロール、押さえておけ!」
 マイズロスは目を白黒させているすぐ下の弟に叫んだ。マグロールは状況を理解するどころではなかったが、ともかくも懐に入り込んでごそごそと動くものを服の上から押さえこんだ。まだしばらく抗議するようにバタバタと暴れていたウサギは、そのうち諦めたのかぶーふーと唸って静かになった。
「――いったい…」
 惨憺たる部屋のありさま――父フェアノールは床の上にあぐらをかき座りこんで双子の一人に黒髪を引っ張られ、年下の弟二人は部屋の隅でひっくりかえり、母親一人が平然と双子の一人を膝であそばせている――に首を傾げるマグロールの肩に、マイズロスが手を置いた。
「よくやった、マグロール」
「兄上、これはいったい……?」
 またもごもごと服の中でうごめいたものを上から押さえこんでマグロールは言った。
「ウサギですよ、マグロール」
 ネアダネルが答えた。
「ケレゴルムが持ちこんだのだ」
 フェアノールが立ちあがって補足した。ようやく父親の髪を引っ張るのに飽きたアムロドが母親を恋しがって身を乗り出すのに、フェアノールは黙ってネアダネルの膝に置いてやる。双子は互いに向き合って何事か余人にはわからない低い言葉を交わし始めた。その小さい頭を二つまとめて撫でてやり、フェアノールは振り返った。
「――おまえのやんちゃも困ったものだ。説明をしなさい、ケレゴルム」
 逃げ出そうとしていた金の頭が、開け放ったままの扉にたどりつく前に止まった。
「ケレゴルム」
 とフェアノールが言った。金の頭が振り返る。普段は一時も落ちつかずにきょろきょろしている目がひどくしょげていた。
「答えなさい、ケレゴルム。あのウサギはどこから持ってきた?」
「あのね!」
 クルフィンがひっくりかえったまま舌足らずの高い声を上げた。
「こーぼーの外の土手で捕まえたの! ケレゴルムが捕まえたの! 穴から追い出したの!」
「あなたがつかまえたの、ケレゴルム?」
 母の問いにケレゴルムは小さく頷いて、誉められるのか怒られるのかとうかがうように上目遣いに父親を見上げた。フェアノールは、ふむ、と低く唸った。
「父上…」
 にっちもさっちもいかない状況に立たされた弟が気の毒になって、おずおずとマイズロスも口を挟んだ。
「ケレゴルムに悪気はなかったことですし、今回は……」
「ふむ」
 フェアノールが唸った。
「なぜここに持ちこんだ?」
「そのぅ、えーと……」
 ケレゴルムはいっそう落ちつきをなくして、逃げ道を探すように周囲を見回した。
「とーさまと、かーさま、に、お見せしょぅ……」
 言葉は途中で頼りなくなり、しまいまで行きつかずに消えた。
 ネアダネルが笑った。
「殿、あんまり子供たちをおどかすものではありませんわよ」
「そうか」
 フェアノールはふと眉を緩め、背を屈めると、きょとんと突っ立っているケレゴルムの髪をくしゃりと撫でた。
「よいか、今後は部屋の中で獣を放してはならんぞ」
 目を細めて笑った父親にまだケレゴルムがぽかんと見とれているうちに、フェアノールはクルフィンの両脇を掴んで引き起こした。
「大事ないか?」
「はい!」
 勢い良く答えてクルフィンは立ちあがった。
 マイズロスはなんとかその場のおさまった様子にほっと安堵の息を吐き、上着を持っていた手を垂らした。と、傍らのマグロールの肘がその脇腹を突ついた。
「――なんだ」
 痛恨の一撃に、低い声で聞いた。
「コイツをどうにかしろよ」
 同じく低い声の答えが返る。視線を向けると、マグロールの懐から灰色の後足が一本、迷惑そうに生えていた。
「持ってろよ」
 にやっと笑ってマイズロスは答えた。
「ばか言え」マグロールが唸る。「ケレゴルム、で、こいつはどうするんだ?」
「うさぎパイ!」
 ケレゴルムとクルフィンが端的な答えを返した。
「――パイ」
 マグロールとマイズロスは繰り返し、もがく服の中のかたまりを見下ろした。話されている内容がわかったのだろうか、ぶきーと怒りの声が漏れた。
「やれやれ」
 ネアダネルの傍らに腰を下ろしたフェアノールが嘆息した。
「父の館の門内に住むものは、断じてパイにはさせぬぞ。――ケレゴルム、クルフィン」
 年下の二人はうなだれて父親を見上げた。
「ウサギを工房の裏庭に持っていき、そこで逃がしてやりなさい」
 マグロールの懐からマイズロスの上着に大人しく移されたウサギを年下の二人が持って立ち去ると、ネアダネルが立って、上の二人の息子に座るよう勧めた。
「少し早いですが、お茶にいたしましょう。すぐにあの二人も戻って来ましょうし、皆がそろうことは最近で珍しゅうございますからね」
 ネアダネルは侍女を呼んで茶の支度と四男カランシアを探すよう命じ、有無を言わさずフェアノールの膝の双子を両方のせた。まだ工房に未練のあったようなフェアノールも、両側から髪を引っ張られてどうやら諦めがついたようだった。
「あの二人ときたら」
 席についたマイズロスがため息をついた。
「このあいだは侍女の服にカエルを放りこむし、その前は雨の中を庭の池に入って魚を追い回すし、仕方ありませんね」
「全くです。廊下の床が泥だらけでなにかと思いました」
 貴公子然と背を伸ばして座り、マグロールも加勢した。
「なんだ、つい先ごろのおまえたちと同じだな」
 フェアノールが笑った。
「いつだったか、お前たちが私とお祖父さまの方に向けてイノシシを追い込んできたことは忘れんぞ」
「思い出しますわね、殿」
ネアダネルが言った。
「その昔、殿がまだお若くていらっしゃる時分に、首飾りの見本にしようと内緒で工房に持ちこんだ蛇が逃げ出して、父マハタンの寝室に逃げ込みましたこと。大騒ぎでございましたわ」
「してみると」フェアノールが妻に片目を瞑ってみせた。
「息子たちは私に似たようだな」
「さあ、どうでございましょう」
 ネアダネルが笑った。
「いたずらにかけては、私も殿には負けてはおりませんでしたわよ。覚えていらっしゃいますか、あの……」
 そのとき背の高い侍女が盆を下げて戻ったので、ネアダネルの悪戯についてはわからず仕舞いに終わった。ネアダネルは首を傾げた。
「――あら、カランシアは?」
 それが、部屋にはいらっしゃいません、と侍女は言った。
「私が見てまいりましょう、母上」
 マグロールが椅子を降りた。
「きっと庭で寝ていますよ。あの子、どこででも眠ってしまいますから。まるで猫です」
「急いでね、マグロール」
 ネアダネルははやくも駆け出した次男の背中に言った。
「母上、お手伝いをいたしましょう。ケーキを切りますよ」
「あら、ありがとう、マイズロス。ナイフに気をつけて……」
 フェアノールは妻と妻によく似た息子からふと視線を離し、窓の外に向けた。幅広の木の葉に似た大きな窓は、繊細な縁飾りに至るまでフェアノール自身が設計したものだ。漏れ入る光は金と銀が混じりあう。アマンの真昼、最も美しく最も満ち足りた時刻だった。はるか彼方にはほの輝く都が浮かぶ。エルダールの都ティリオン、水晶の階を持ち、その頂きにはミンドン・エルダリエーヴァの白い灯火が燃える。
「殿?」
 穏やかな問いにフェアノールは振り返った。ネアダネルが笑い、穏やかな湯気をたてる椀を置く。
「あら、双子が寝てしまいましたわね。ちちらへ寝かせます?」
「――いや」
 フェアノールは腕の中ですっかり寝入ってしまった二人の子供を見下ろし、笑った。
「起こしてはかわいそうだろう」
「殿はいつもおやさしいこと。あら、子供たちが戻りましてよ」
 ネアダネルの言葉が終わらないうちに、扉が開いて、ウサギを放しに行っただけにしては汚れの増えたケレゴルムとクルフィンが真っ先に飛び込んできた。二人は卓子に並んだケーキを見て歓声を上げた。続いて黒髪の四男を抱いたマグロールが入ってくる。兄に抱かれたカランシアはまだ半ば眠っているようで、何かごにょごにょと言いながら、兄の襟元に顔をこすりつけていた。
「さあ、みんなでお茶にいたしましょうね」
 ネアダネルが言った。
 
 
 
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