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長い髪の乙女たちは素足で緑の草を踏み、夜露を散らした。エイセル・イヴリン、イヴリンの淵の近くの美しい野と森、再会の宴は月光の中で始まった。星々は頭上を廻り、木々の間に揺れる灯火が淡く瞬く。ここはローリエンの園を思わせる、と貴顕の座に連なってマグロールは思った。 あの銀裏の柳の繁る森。木々の間を歩むのは光り宿すマイアの貴人たち。そのただ中に横たわるローレルリンの湖には今まさに芽吹き生長せんとする種子を思わせて、エステの館が永劫の静止のうちに安らっている。 己が胸の深くに描き出した風景に、思いがけず深い感動を感じて、マグロールは傍らの兄に気付かれぬよう無表情を貼りつけなおした。 ――それではまだ、私は愛しているのか。 そして否と言いようもなく胸の内が疼いた。愛しているのだ。浄福の地、影なき王国、世の諸力の治める西方楽土を。その幸いの日々を。だが帰りたいと願うことはない。戻りたいのはもはやない日々、もはや枯れ朽ちた二本の木の輝く国、どこにもない場所と時。 あの地に残ったものさえ、今は去ったものたちのことを想って幸福ではない。永遠を生きねばならぬものの周囲でこの世界のすべてが変わりゆくのはなぜなのか。永遠を生きればこそ失うもの、失ったものはいつも計り知れぬほど大きくなるのに。そしてその恐るべき総和を誰が背負えよう。悲しみのうちに死ぬのは道理。内側より燃え尽きるのが道理。 「……」 不意に横から手荒く脇腹を小突かれた。見れば並ぶものなきシンダールの伶人が歌い終わったところ。兄を盗み見るような下手な真似はせず、マグロールは黙って竪琴をとり、前に出た。中央の高い座には意を得て威風は周囲を払う叔父フィンゴルフィン、右にはよく似た面差しの嫡子フィンゴン、兄よりは母親に似た線の細い美貌のトゥアゴンは左手、イドリル・ケレブリンダルは下の兄の横で銀のヴェールを額に飾り、ややも退屈そうに頬杖をついている。その左手に並ぶのはフィナルフィンの息子たち。フェアノール王家の占めるのはフィンゴンのさらに右手の二つの座だ。さて、と、マグロールは皮肉に思う。郷愁に倦む己が今歌えば、その歌は引き裂かれ迸るような悲しみとなって居並ぶ全ての貴顕の胸を焼くとわかっていた。そうともシンダール随一、おそらくはエルダール随一の伶人はアマンを知らない。エルダマールを知らない。ミンドン・エルダリエーヴァを知らない。善美にして完全なる故郷に向かう絶望的な郷愁を知らない。好都合なことだと一人ごち、マグロールは竪琴に手を置いた。竪琴は歌い始めた。その主の思い赴くまま。 ――聞け。 ティリオンの都に白い塔は甍を連ね、その姿は美しかった。百万の灯火を点す森のごと輝いていた。わけても最も高く優美なるミンドン・エルダリエーヴァ、銀の塔よ。その頂きは遠く二本の木の輝きを受けて輝いた。おおその光よ――塔に鐘は鳴り響き、清い音色は遠くまで響いた。広大なアマンの野に白い馬を駆けさせながら、塔の都の驚異の壮麗のさなかを歩みながらその音色を聞いた。傍らには愛するものが行き、その瞳には哀しみや苦しみに翳ることがなかった。その笑みは曇ることのない輝きであった。ああ憂いを知らぬ浄福の地よ、その時代よ。愛は館の内にまた野に満ちて、欠けるところなかった。 ――いずこぞかの至福のとき、いずこぞかの至福の地。 竪琴は歌を止め、マグロールは黙した。一座は静まり返っていた。宴は呆然として誰もが泣いていた。泣いていないのはシンダール、暗闇のエルフたちだけだ。日月以前の光を知らず流浪の悲しみを知らぬものたちだけだ。マグロールは押さえきれぬ冷笑を無表情に変えて再び席についた。あざ笑いたかったのはシンダールたちではなかった。己も含めて捨てた国を忘れられずいまだ恋々としているノルドール、自らを光のエルフと僭称する者たちに対してだった。誰もがその呪縛から逃れられない。おそらく今は亡き炎の王を除いては。ここにはいない最も父に似たその息子を除いては。 「――よくやった」 低く潰れた声が聞こえた。問い返すような下手な真似はしなかった。マイズロスが立ち上がり壇上に登るのを見はしなかった。耳に聞いた言葉はただ通りぬけた。 だが聴衆はそうではなかった。聴衆は、力強く激しくそして傷ついたマグロールの声を聞いた。その言葉を聞いた。曰く―。 |