兄→弟考察....2

【修道院イベント】
「騎士団員として忠誠を尽くすべきオディロ院長の危機にあたって私的な感情を優先させ、とりかえしのつかない結果を招いた。もはや見切りをつけるべきである」
 
 騎士団員の行動基準は「忠誠と信仰」にあると考えられる。忠誠は所属長である院長オディロに対するものだ。厳しい規律を持つ宗教的武力集団にあって、忠誠は個々の生命に勝って重要視されていると考えてはならない理由はないだろう。
 
 マルチェロがククールを放逐するのは二つの理由からだ。一つはククールが決定的な瞬間に「弟」としての自己を優先させて忠誠の義務をないがしろにしたからである。これは本来なら追放ですむとは思えない咎である。マルチェロの認識の中では、「よき団長」としての情状酌量を含んだ判断である位置づけられていたかもしれない。ククールもまたオディロの愛し子なのだ。マルチェロは自分がオディロの意向を汲んで温情を尽くしたと考えていたに違いない。これは表の理由であろう
 
 一方、隠れた理由は、これまで隠されてきた憎悪の「兄」としての復讐心である。オディロという善良の基準たる養父をなくしたことで、それまで二重の基準の隠されていた生身の憎悪が、公然たる表の理屈を借りて牙を剥いたともいえる。何よりもまず、「兄」マルチェロは、「弟」ククールを憎んでいたのだ。さらに言うなら、憎しみの対象は彼にとって否定的なものとしてそもそもの最初に立ち現れ認識された世界そのものでもあっただろう。
 
 なにより注意するべきことは、ククールの追放は長い間止まっていた歯車の回りだした合図、その最初の一回転であった。些細なことではあるが、しかし決定的な一事であったのだ。マルチェロの公然たる野心と隠れた憎悪はここに噛みあって、もはやブレーキのきかない回転を始めた。それが人の目に明らかとなり人の法を超えるまでにそれほど時間が必要だったとは思われない。
 
 
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