兄→弟考察....3

【ゴルドイベント】
「おまえが正しかったとは認める気はないが、私が負けたことは認めるよりほかにない」
 
 暗黒神の杖がマルチェロの身心に対してどのように働いたかおよそ明確に示すことは困難だ。しかし、ブレーキのきかない回転、速度を増すばかりの野心と憎悪の狂気の車輪に拍車をかけただろうとは言えるだろう。悪魔的なものは悪魔的な運動をたやすくかぎつけ、鋼鉄の意思にさえ気づかれることなく密かに亢進させた。走る車輪を引きとどめることは非常な困難を伴っても、すでに暴走の気味を呈し始めている前進を更に促してとりかえしのつかない狂気に誘い入れることは悪魔にはもっとも容易な業であろう。
 
 マルチェロは即位式にあたり、果たして狂気の沙汰とも思える演説を行うが、これは彼の内の均衡が憎悪に傾き過ぎていたことを意味してはいないだろうか。その直後、四人組との戦いに敗北し、暗黒神の力が膨れ上がったとき、マルチェロは自分自身の憎悪と信じていたその多くの部分が外側から密かに注入されていたものだと気づいて愕然としなかっただろうか。老練な悪魔が人間を操る方法はなにも真っ向から打ちのめして支配するだけではないのだ。
 大穴の縁に引っかかり、ククールの手が助け上げたときのマルチェロの心理状況を記述することは筆に余る。しかしその内心に、自らの憎悪に騙されたという苦い悔恨があったのではないかとは考えられる。兄弟間のやりとりは表層的には別離の前とそれほど変ったところはないが、マルチェロが初めてククールの真情を推察したのではないだろうかと思われる節もある。放り投げた指輪の意味を仮に解読してみるとしたら項頭のカギカッコだろうか。
 
 さて、マルチェロのゴルドからの出奔を理解するにあたって一つの壁につきあたる。マルチェロは暗黒神による世界の破壊を信じるべき十分な理由があったにも関わらず、世界が滅びるとは考えていない。端的にいうなら四人組が暗黒神を倒し、世界を救うだろうと信じているように振舞っているのだ。彼は確かに敗北者、野心破れ罪によって追われるものとしてゴルドを立ち去ったのだが、そのとき未来を持つ者として立ち去っているのだ。彼が背を向けたその世界は今まさに滅びようとしている、あるいはすでに未来形の中で滅びた世界ではないのである。
 
 マルチェロは二重の意味で弟たちに命を助けられたと考えざるをえない。一つにはゴルドの大穴からの直裁な救出であり、もう一つは救済された世界での未来の可能性の付与である。この後のマルチェロはもはや自らの生からも、周囲のすべての事物からも、「弟」の影を消すことができまい。マルチェロのその後の生を推察することの難しさはここにある。マルチェロが世界をわずかなりと愛するためには、まず「弟」を少なくとも許すことが必要とされるからである。翻って救いとなるのは、マルチェロがもし世界を愛したとするなら、マルチェロはそのとき「弟」をすでに許しているのである。
 
 
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