Cross, on your chest....
 
 砂漠と海が境を接するサザンビーク大陸の南端に、黄昏が訪れていた。死にゆく太陽の黄色い光線は乱れた海と雲とを染め、荒々しい風の中を飛ぶ灰色の海鳥のおそろしくもの悲しい声は海鳴りをつんざいて響いた。黄金色の雲は渦を巻き、翻る軍勢の旗印のごとくいよいよ際立った。
 その風景のさなか、ククールは強い風に吹き晒されて歩いていた。長い銀髪は翼のごとく広がり波打ち、足の下では砂が崩れた。終わりを知らぬ無限旋律のような足跡は、長い行程を示して地平の果てから続いている。
 人の世を離れたこの場所に足を踏み入れた理由を、ククールはあまり思い返さない。それはもう、あんまり昔のことだから。あれはいつのことだ。あれは秋だった。あれは満月までまだ三日ある夜の入り口だった。あれはエイトの婚礼から一月後だった。そしてもう七年も前のことだ。水晶玉から顔を上げた男が告げた言葉はほとんど諳んじている。だから思い返しはしない。ただ黄昏を歩くだけだ。この七年、一日も欠かさずしてきたように。
 いや、一日もってわけじゃないな、とククールは考えた。この三日ばかりひどい嵐が続いて外には出られなかった。覚えている限り一度もなかったほどの激しい長い嵐だった。一続きの長い夜のように天の暗さは続き、窓からはときおり稲妻が青白い光で塔のように高くそそりたつ波を照らし出すのだけが見えた。ようやく明るさが戻り、雨が去ったのはつい先ほど。ククールは砂浜の彼方に沈み行く光の方を目を細めて見た。
 そして立ち止まった。それはこの七年で一度もなかったことだ。見出したのは砂の上に横たわる一つの影だ。最初、それは海底から引きさらわれ嵐の残した置き土産のひとつであるかに思われた。だがそうでないことがわかった。ククールは天から投げ落とされたよう横たわるひとの姿をそこに見た。あおむけの体の上に金の輪がかかり、静かに輝いているのをさえ見た。
 ことんと胸の心臓が震える音が耳に響いたと思うと、ククールは自分が砂の上を駆けていることを知った。足に翼の生えたよう、一目散に。
 
(おまえは見出すだろう)
 
 そうだ、七年前のあの夜、ルイネロは言った。
 
(昼が死に夜が生まれる時刻、海と砂の交わるところで、おまえは兄を見出すだろう。だが――)
 
 ククールは走った。横たわる影は形を変え、萎び、縮むようだった。だが疑いの余地はない。なによりもククールの魂が、目に見えぬものを知る魂が、それが何かまた誰かをすでに知っている。ククールは倒れるようにして立ち止まった。砂の上に横たわっているのは巨大な鷲だ。まぶしたように砂に汚れ、潮に濡れて、嵐に翼折られたのかククールが近づいても丸い眼を開いてこちらを見るばかり。翼広げれば人の背丈も超えように、かつては大空を飛び翼の下に世界を見たろうに、嘴を鳴らして威嚇する力さえなく。
 
(だが心せよ、ククール。おまえが――)
 
 ククールは黙って拳を握り、静かに膝をついた。手を伸ばして汚れた羽毛に触れる。手の下で傷ついた猛禽が震えているのが感じられた。抱き取ればその大きさに比して軽い。尖った爪が弱々しく手を掻いて抵抗を示した。
「大丈夫だ。大丈夫だから、怖がるな…」
 ククールは潮の匂いのする羽毛に頬を寄せて囁いた。鷲は碧の目を一度瞬き、それぎり抗う動きをやめた。ククールはほんの一声かそれほどだけむせび泣き、それから腕に鷲を抱いたまま立ち上がった。のろのろと歩むその足跡は楽章のごとく砂浜に折り返して長く伸び、黄昏は深まって光褪せた。
next