沈丁花....

 見上げる三月の空は色あせた青で、石壁に四角く区切られている。太陽はその狭い枠の外にあって、光は壁の上の方にかかるだけ。マルチェロのもとには温もりを届けてくれない。母の葬儀を終えて、マルチェロは喪服のまま石の回廊をあてどなく歩いていた。
 修道院の一角、貧しく病んだものたちを収容する救貧院の粗末な寝台で母は死んだ。最期までマルチェロの行く末を案じていたその顔は苦しげで、病と貧窮にやせ細った手は枯れ木のようだった。ドニの屋敷を追い出されてからの日々の辛苦と苦悩が生命力をすり減らして、運び込まれたときには医師の手当ても功を奏することはなかったのだ。
 マルチェロはふと顔を上げた。いつしか回廊を外れて修道院の奥の方に迷い込んでしまったようだった。辺りを見回しても道筋を聞くべき人もない。戻ろうと振り返っても、高い壁の僧院は見通しがきかない迷路のようだ。戸惑って踏み出せずにいると、甘い香りが鼻腔に触れた。見れば、そこだけ日差しの注ぐ裏庭の一隅に、花盛りの木がある。
 歩み寄れば子供の背丈ほどの細い木だ。花は一つひとつは小さく白く星の形で、花弁の外側は赤い。ドニの屋敷にもこの木は生えており、母の膝の上でその名を聞いた、とマルチェロは考えた。なんという名だったか。そうだ、確か。
「――沈丁花じゃ、ここは陽だまりでのう、修道院の中で一番早く咲くのじゃよ」
 すぐ近くで聞こえた声に驚いて振り返ると、いつの間にか背後に小柄な老人が立っていた。修道院長だと遠目に見て聞かされていた老人は長い髭と温かい眼差しの持ち主だったが、マルチェロは返事をせず、皺だらけの手が花に触れるのを見ていた。
「母の葬儀でのおまえの態度は立派じゃった」
 慈しみ深い目は花に微笑みかけ、それからゆっくりとマルチェロを向き直った。
「だが、今は嘆きのときじゃ」
 静かな言葉であった。だが心からなる哀れみと、そして深い悲しみがあった。マルチェロはしばらく老人を見上げた。やがてその目から涙が溢れ出した。
「おいで、マルチェロや」
 呼ばれるままに老人の衣にしがみついた。母を救えなかった自分への怒り、母を助けなかった父への憤り、自分を置いていった母への怒り、そしてすべてにまさる身を切るような悲しみ。寂しさ。やるせなさ。幼い体に畳み込まれていた激情に慟哭する子供を、オディロは長いあいだじっと抱きしめていた。
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