その日の午後は書庫の整理や買出しで珍しく忙しかったから、ククールが昼食時の会話を思い出したのは夜半にかかってからだ。古い書物を照らしていた灯火が揺れて、もう蝋燭が残り少ないことに気づいた。隣のベッドで小坊主はもうすっかり熟睡している。 (――どうすっかな) 書物はちょうど議論の要点にさしかかったばかりだったし、まだ目もさえている。聖堂に行けば終夜灯火が捧げられているはずだと思い出し、夜着を羽織ると本を抱えてそっと部屋を出た。階段を下りて、中庭に面した扉を開ける。さっと吹き付けた冬の夜の冷たい空気にはや後悔をしながらも、足早に聖堂に向かった。そのままになっている落ち葉があちこちで音を立て、西に沈みかけた月光が淡い影を敷石に落として、住み慣れた場所をひどく不気味に見せている。 「ジジイが余計なこと言うからだ…。化け物が出てみろ、グランドクロスをかましてやるぜ」 ブツブツと呟きながらもどうにか聖堂にたどりつき、後ろ手に扉の掛け金を閉めてようやくため息をついた。天井の高い聖堂は寒さこそ厳しかったが、翼ある女神の像の前にも三叉の前にも灯火が捧げられて明るかった。 「――不敬をお許しを」 女神に断りを入れて、像の前に横様に座ると本を開いた。静かな聖堂に蝋燭の芯のはぜる音と項をめくる音だけがときおり響く。 「――!?」 扉を叩く音が聞こえた。激しく。今度こそ聞き間違いではない。扉がわずかに揺れるのを見ながら思わず立ち尽くした。悪霊かと疑わずにはいられないのは夜半の闇に沈む天井近くの装飾窓の暗さと揺らめく蝋燭の明かりのせいだ。それでもようやく扉に近づき、掛け金を外した。それと同時に。 「う、わ!」 ばん、と、開いた扉の外から小坊主が勢い良く駆け込んできて突き当たり、抱きとめようとした体はひっくり返された。ククールは思わず目を白黒させたが、小坊主が細い腕で精いっぱいしがみつくなりわんわんと泣き喚き始めたのに先手を打たれ、何があったと問いただしたい気持ちを抑えてなだめるように冷えた体をぎゅっと抱いてやった。 「ほれ、ちーんしてみろ。ちーん」 涙と洟でどうしようもなくなった小坊主の顔をハンカチですっかりきれいにしてやり、最後にハナをかませてごしごしと手荒く拭った。ひとしきり泣いて気が済んだはずの小坊主は、まだククールから離れようとしない。 「おい、どうした。まだ落ち着かねえか」 顔をのぞきこむようにして笑ってやると、またしがみついてきた。 「……だ」 「え?」 「こ、怖い夢、見たんだ」 こいつはこんなに小さかったっけと思いながら、ククールは小坊主の背中を撫でてやった。そういや、俺も怖い夢を見たらしょっちゅうオディロ院長のベッドにもぐりこんで夜が明けるのを待っていたっけ。 「そ、外から、窓を叩く音がして――老師さまが、悪霊だって言うから、俺、入って来んなって、夢ん中で言ったんだけど…」 「うん?」 「窓が開いちまって、『入れて、入れて』って声がしたんだ」 「――」 まただ。また、何か、奇妙なものがすぐ傍を通り過ぎていったような気配がある。それが何かはわからぬまま。ククールは眉を寄せた。 「ちっこい指が窓枠にとりついてっから、俺、怖くて、指をはがして突き落とそうとしたんだ。そしたら…」 「そし……たら?」 小坊主は首を振った。 「わ、わかんない。…そいつの緑色の目が見えて、目が覚めたんだ」 ククールはかすかに体が震えるのを感じた。だが、そうだ。 「――怖くないように、今夜はじいさまのベッドで寝かせてもらえ。な」 「で、でもお師さま…」 「俺が送ってってやるから。そうするんだ。いいな?」 腕の中の子どもを抱いて立ち上がり、ククールは聖堂を出ると回廊を抜けて宿舎の扉を開いた。老人たちの寝床のある食堂の向かいの部屋の扉を開くと、小坊主はまだ不服そうにしながらも大人しく寝台のひとつにもぐりこんだ。だがククールは。 |