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喧騒の一切を貫いて鳴り響いたトランペットの喨々たる音色に、ハレスは顔を上げた。浅瀬は敵の手に渡り、川の中州の粗末な砦は最後の柵を破られて敵の侵入を許していた。剣を手に持てるものは女子供に至るまで、残る石の小屋の前で攻め寄せたオークとの間に絶望的な防御を試みている。死と全滅は目前のはずだった。 トランペットは高々と吹き鳴らされる。月光を浴びて輝く軍勢が川向こうを埋め尽くし、盾を構え刃をきらめかせて進軍しつつあるのが見えた。その旗標はエルダール王家の星。 それでは、援軍はほんとうに来たのだ。父はすでになく弟も死に、砦は破られたまさにこの絶望の瀬戸際に。ハレスは我と我が喉から迸る歓呼の声を聞いた。 星の旗標は高く翻り、三度、トランペットが鳴った。と思う間に白銀の軍勢はオークの群に襲いかかった。オークの軍勢から悲鳴と咆哮と断末魔が上がり、その隊伍が崩れる。 「ハラディンよ」 ハレスは叫んだ。泥と血に汚れた長い髪が乱れて荒々しく頬を打つ。 「撃って出よ。エダインの豪勇を見せよ。血の代価を敵の死にあがなえ」 ハレスの声は戦場のどよめきを圧して響き、生き残ったエダインが歓呼の声で答えた。砦の中まで攻め入っていたオークの群は一斉に逃走に転じ、防戦に努めていたエダインが今度は追跡者となって叫びながら走り出た。ハレスは破られた防護の柵を出て自ら先頭に立った。女とみて襲いかかってきたオークの一匹の首を飴を切るよう槍の一閃になぎ払う。父の槍だった。受け継ぐべき弟もいない。だが復讐の喜びは悲しみに勝り、ハレスは槍を振るいながら声高に笑った。もはや敗北の戦いではない。全ての借りを返すときなのだ。 ハレスは中州の砦を出て浅瀬に進んだ。なぎ払い突き殺し何匹かのオークをたて続けに槍の錆にしたとき、ふいに味方の悲鳴が聞こえた。獣のような太い唸りも。 「――……トロルだ」 傍らで剣を振っていた少年がかすれた声で呟いた。見上げれば夜の中に不恰好な巨大な影がある。丸太のような拳を振り回す巨大な生き物のまえに、銀に輝くエルダールの騎士たちが盾を揃えて後じさり、エダインは傷つき逃げ惑っている。 「トロルだ、青の山脈から連れて来たんだ!」 ハレスは躊躇しなかった。怒りが導き、戦闘の間を縫って飛ぶように走った。オークをついでに何匹かなぎ払い、トロルを囲むエルダールの頭上を飛び越し、その銀の盾に手をかけてひらと身を躍らせる。足の裏を濡らす浅瀬の上に降り立てば、頭上高く、トロルが鈍牛のように首を傾げる。 「エダインの娘よ、危険だ。我らに任せて下がりなさい!」 エルダールだけの持つ涼しい声が後ろから呼びかけたが、ハレスは答えなかった。 戦いの場に立つ喜びがあった。身の底深く、ふつふつと煮えたぎる怒りに疲れは消えた。その鈍い頭のなかで何ほどか納得がいったのか、トロルは不器用な仕草で巨大な拳を持ち上げた。だが振り下ろされるときは迅速だ。ハレスは踊るように軽やかに横ざまに飛んで一歩を逃れ、その勢いをばねに槍の穂先をトロルの腹に深く突き立てた。同時に叫ぶ。 「父の死を償え!」 銅鑼のような悲鳴を上げてトロルは巨大な拳をあてもなく振り回す。周囲を囲んでいた数人のエルダールがあおりを食って弾け飛んだ。だがハレスは身を低くして拳を潜り抜け、川底を蹴って伸び上がりながらトロルの喉元めがけて槍を突き出した。 「弟の死を償え!」 だが穂先は少しばかり反れ、トロルの肩に突き刺さった。引きぬくより先に、トロルが長い柄を掴んだ。同時にたたらを踏んだ足の下で石が滑る。愚鈍だが狡猾なトロルの瞳が光り、視界の端で拳が持ち上げられるのを見た。そのとき、星が輝いた。 燦然たる星であった。夜に縁取られたエルダールの貴人の一人の横顔をハレスは見た。星の紋章を帯びた甲冑、兜に代えて額に一つ星。三日月さながら輝く剣が振り上げられ、いつとも気付かぬ間にトロルはその胴を二つに断たれて重い音とともに崩れ落ちた。月の光は断たれた骨と撒き散らされる臓物を奇妙なほど静かに映し出した。 「エダインの女戦士よ」 敵味方静まり返ったなかでエルダールの戦士が言った。その声の深い響きに、ハレスは腹の底から湧きあがる恐れと深い喜びを感じた。 「まだ戦いは終わっていない。オークの最後の一匹まで掃討し尽くそう」 「父と弟の名において」 ハレスは低く叫び、槍を掴んで立ちあがった。身内に凶暴な衝動が燃えあがる。見れば川向こうから新たなオークの一群が夜を汚して押し寄せてくる。 「復讐を、殺戮を」 ハレスは叫んだ。生き残ったエダインが天を衝く叫びを上げる。 「オークどもを殺せ、殺しまた殺し、さらに殺し尽くせ」 エルダールの公子の叫びにはエルダールの全軍の叫びが続いた。 一瞥すれば、砦は銀の鎧武者たちで固められている。ハレスは笑うと、守護者の役目をかなぐり捨てて身軽に走り出した。岸辺を一気に駆け上り、前列を越えて敵のただなかに飛び込めば、思うさま振るう黒い槍は黒血を夜のそこかしこに呼び起こす。エルダールの戦士たちが銀の声で歌う殺戮の歌がなおも血を熱くした。あまりにも前に出すぎたことは知っていたが、気にかけはしなかった。囁く声を聞いたからだ。 「存分に働かれよ、余はそなたの背後を守ろう」 そして事実、影のように、背中併せになってエルダールの公子はハレスを守っていた。どのように動いても少しの妨げにもならずその存在もほとんど感じられないほどだったが、オークの骨に刃こぼれした槍に月光を輝かせながら、ハレスは背後の騎士が振う鋼の剣の残曳を視界の端に見ていた。醜悪な顔をしたオークたちの尖った粗悪な鎧の隙間を突き、悲鳴と血を聞きながらハレスは声高に叫んだ。 「復讐を、血には血の代価を」 応えるよう、背後で公子が叫ぶ。 「殺せ、殺しまた殺し、さらに殺し尽くせ」 ついにオークたちが逃げ出し始めたときも、この一組は手を緩めようとはしなかった。円を描くよう互いに互いの背を守りながら、戦場に下りた暴風のように殺しつづけた。 |