弟→兄考察....2

【修道院からの追放】
「俺はあんたから離れたかったしあんたから離れることを喜んでいる。それでもあんたが俺を追放したことは許せない」
 
 前項の内容はククールにとって自明のことだった。追記するなら、「よき団長」としてのマルチェロの愛情であっても、「兄」としてのマルチェロの愛情であっても、ククールには等しく喜びであっただろう。ククールはそれほど愛情を求めていたからである。
 そのククールにとって、追放はどのように立ち現れたか。長い葛藤にククールが倦み、また疲れ果てていたことは想像に難くない。出奔を願っていたことも確かであろう。だがマルチェロによって実際に追放が言い渡されたときに、激しい絶望と悲しみと怒りが呼び起こされなかったと考える理由は何もない。ククールの葛藤は愛しているマルチェロから愛情が与えられないことにあり、切望していた解消は愛情が与えられることだったからだ。
 修道院からの追放はククールの省察にとって「解放」であり、「絡まって解く方法もない兄との関係」からの有益な逃避であると知られただろう。だが感情にとっては、生木を引き裂くにも等しい痛みを意味しただろう。
 とはいえ、追放はククールにとって総じて喜ばしいことであった。ただマルチェロとの葛藤にのみ費やされていた心的な資質、省察が世界に向け新たな仲間に向けて育つことができる機会を得た。風との戦いに明け暮れ捻じ曲がる代わりに、開けた清明な草原で伸び伸びと枝を伸ばすことが許されたようなものだ。この成長の期間は、再びマルチェロとの関係に立ち戻ったククールに、かつてとは異なる力を与えることとなる。
 
 
 
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